京津線各停用車で、3ドア15M車両で、当初は1両両運転台でポール集電。1971年8月からは、2両編成になりパンタグラフ化、1989年からは冷房化となる。(1961年〜1997年)
1929年嵐山本線複線電化にともない、1936年に誕生した車両。1975年のポール集電廃止に伴いZパンタに換装。ク201形就役時にモボ121〜124号車が主電動機を4個に増強。(1936年〜1996年) ク201形は、1950年に3両が、汽車会社で3両が落成した。路面電車では珍しい制御車。(1950年〜1996年)
阪急京都線の全身の新京阪鉄道が製造下73両の車両。この形式は、製造時期により全鋼車および半鋼車が混在。両者とも、両運転で竣工し、のちに片運化された車両もあり。細かく分類するとかなりの数になります。(1927年〜1973年)
711+761〜717+767の合計14両がナニワ工機で竣工。京都線特急用として、その運用に導いた。神戸線用の810形とは姉妹車ではあるが、随所に新京阪の流れを710系は伝統を受け継いでいる。(1950〜1983年)
1937年田中車両で電動車1両と制御車1両の2両編成1本のみ製造された。千里山線(現阪急千里線)で活躍後嵐山線へ。(1937年〜1970年)